レトロな一眼 Nikon Zfc



Webデザイナーの勉強をすべて修了し

フリーランスとして自立するための

ウェブサイトを制作中です



リュックサックにはパソコンを

手にはカメラバッグを持って

西鉄大牟田線に乗り福岡駅へ

そして

天神からは学校までバス通学

いくたの学校、あまたの教室をのりこえ

雨の日も風の日もコロナ禍にも負けず

最後までやり遂げました

立派です!







そして今日は

念願のフォトグラファーとして

仕事の幅を広げるため

未開封カメラをもってきた






話題の一眼カメラ Nikon Zfc

気軽に撮影を楽しめるね ♪






さっそく塾生と一緒に初期設定開始

グッと使いやすくなる

Webおじさん流カスタマイズ






カメラを駆使し仕事やプライベートで

新たな世界を切り拓く

素晴らしいことです






Camera Woman – debut







小型軽量でレトロなデザイン

僭越ながら

僕も思わずシャッターを






教室においてる
Nikon Zfc Type Black
雰囲気はガラッと変わります



ご要望の多かった Nikon Zfc
専用コースを開設

もちろん他のメーカーも
持ち込み授業oK!






FOAS
Fukuoka Office Advance Seminar


STUDIO GECK
https://geck.foasnet.com


初めて学ぶ一眼カメラ
https://camera.foasnet.com


次世代のWEBデザイナー養成
https://designer.foasnet.com


中高年のためのWEBデザイナー・カメラ講座
https://middle.foasnet.com


ジンバルカメラで遊ぶ




ジンバル カメラスタビライザー授業
GIMBAL CAMERA STABILIZER


歩きながら揺れる動画撮影も

大きなブレでも

まるで映画のように滑らかな

作品になります



ジンバル大好きなFOAS生と

遊んでみました



FOAS
Fukuoka Office Advance Seminar


STUDIO GECK
https://geck.foasnet.com


初めて学ぶ一眼カメラ
https://camera.foasnet.com


次世代のWEBデザイナー養成
https://designer.foasnet.com


中高年のためのWEBデザイナー・カメラ講座
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いぶし銀の写真家たち




– いぶし銀の写真家たち –

写真機浪漫


あなたもフォトグラファーを学んだ

お友達の写真家と多々良川へ

ちょい撮りにでかけました




FOAS
Fukuoka Office Advance Seminar


STUDIO GECK
https://geck.foasnet.com


初めて学ぶ一眼カメラ
https://camera.foasnet.com


次世代のWEBデザイナー養成
https://designer.foasnet.com


中高年のためのWEBデザイナー・カメラ講座
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Philosophy 2023

1985年起業、昭和から平成、令和へ。お陰様で2023年、38周年を迎えました。これも皆様の叱咤激励、ご支援によるたまものと感謝しております。


学校長のいま(Webおじさん)

昭和のセピア色した高校カメラ部時代にカメラにめざめ、商業写真家として撮り続けた撮影環境をフィルムからデジタルに切り替え、ようやくフォトライターの完熟域に到達。

Webディレクターやフォトライターの業務経験をフィードバックしたプロ育成講座を指導。低リスクで可能な一人起業を支援するための「Webデザイナーやフォトグラファー特別講座」に注力。

また授業を担当するかたわら、撮影取材車を駆使した STUDIO GECK 業務企画「写真と映像で地域おこし」の撮影取材を全国で展開しています。


学校長のおもい

起業してそろそろ40年近くを迎える現在、Webコンサルティング会社を併設した産学連携スタイルのWEBデザインとカメラの学校を展開。これまで築きあげた人脈とSEOを主軸に、個人事業主やフリーランスの指針となる看板や有料広告は一切しない広告費ゼロの運営を続けています。


・先行き不透明な時代

新型コロナや人生100年時代となり、社会の価値観やビジネス環境は激変。会社や国が雇用を保証する時代から、雇用の流動化や自分で仕事を確保しなければならない、先行き不透明な時代へ突入しています。

すでに物価高騰や年金だけでは暮せない現実も待ち受けています。会社や組織で働きながら又は起業の場合も持続可能なキャリアプランを構築し備えることが必要です。


・個人の時代が到来

ネットやテレワークなど、場所にとらわれない社会の変化は、会社や組織に所属しない人にも収益を得る方法をもたらし、自分でビジネスをマネジメントできる環境も整ってきました。

ネットの世界は会社の規模や個人に関係なく対等です。個人でも独創的な手法や考え方で、大手とも互角に戦えます。むしろ顔のみえる個人の方が柔軟性や気配り、ゆきとどいた対応で強みを発揮し、成長を続けています。

そして、AIやチャットGPTなど急速な広がりをみせていますが、それは反面、人間らしい能力や個性、オリジナリティの価値が増すことを意味します。自分軸をもち、新たな考え方や自由な発想を生みだす個人の時代が到来しています。


・WEBのこと

収益を上げ成功している会社やお店はWeb環境を上手に構築し運用しています。

その中核となるWebデザイナーは、収益に貢献することを目的とした価値の高いWeb環境を構築し統括するWebディレクションという重要な役割を担っています。


・ カメラのこと

写真や映像が印象的で魅力あるWebコンテンツは閲覧ユーザーを上手に捉えています。

一眼カメラは訴求イメージにあわせ印象的な表現や正確な情報伝達ができ、細部まで鮮明で美しい写真や映像を実現できます。シャッターや絞り、露出を調整して新たな価値を創造するためのプロフェッショナルツールです。


・低リスクで可能な一人起業に最適

進化する次世代のWebデザイナーやフォトグラファーは、情報発信の中核であり年齢や性別に左右されない実力の世界。フリーランスやインハウス転職にも最適で持続可能なキャリアプランであり、私が長年続けている仕事です。

あなたの職歴や経験にWebとカメラのパワーをプラスすれば、将来を拓くあなた独自の強力な武器となります。

低リスクで一人起業や転職を支援する人気の「特別講座」や人生100年時代に備えた「中高年のための講座」も学校長による指導が大変好評を頂いております。

学ぶのは明日へのパワー!

セピア色のペダル紀行

二十歳の体験は
いまも色褪せることなく生きている



ある日、書棚の資料を整理していると、古びた写真が数点でてきました。
それは僕(Webおじさん)の若いころのスナップでした。

いまから四十数年ほどむかし、ちょうど二十歳前後の学生時代。自転車で単独日本一周をしていた時のものです。その瞬間、あのころの空気感が蘇りました。

高知県 室戸岬


いまの僕をささえる土台となった体験を、九州から一番遠い北海道でのエピソードを中心に、少し長くなるかもしれませんが、初めて話してみようと思います。



日本という国のスケール感やその土地の人たちを、自分のこの足と、この目で確かめたい。そんな湧き上がるような願望にかられ、ペダルを踏み、走りだしました。いまにして思えば、僕にとって勇気がいる、大きな第一歩でした。

北海道 網走刑務所 出所ではありません。念のため


いまのように便利なコンビニやナビもなく、ただ紙の地図と勘をたよりに、九州から四国、本州、津軽海峡を青函連絡船で渡り、北海道をまわる。しんがりとなる九州へ。

その途上、ビバーク(野宿)やユースホステルを中心に寝泊まりして走る。くじけそうになりながらも、ひたすら走る。お金が乏しくなれば現地で日銭を稼ぐバイトをして、また走る…。

襟裳岬では昆布とり、新冠の牧場では馬や牛の世話、日高の農場ではトラクター運転、仙台の松島では遊覧船の集客、利尻島や各地でユースホステルのヘルパーなど色々やりました。

当時のユースホステルは、低料金で外国人旅行者も多く、フレンドリーで活気にあふれ、ご飯のおかわり自由なところもあり、走るための貴重なエネルギー源でした。ネットやSNS、スマホもない時代ですから、重要な情報交換の場でもありました。

あの山の向こうは… どんな人と出会いが… 見知らぬ同志が友達に… ご好意で泊めてくれたり… 好奇心や出会いがめくるめく続く感動の毎日。

日本最北端の宗谷岬にたどり着いたときは、涙があふれました。 そして言葉で表せない到達感が、いつのまにか明日のペダルを踏む原動力となっていました。

北海道 宗谷岬 日本最北端


進む道は自分の意思で決め、暑さ寒さにさらされ、雨風をもろに受け、峠道の上りは試練と思い、下りはご褒美だと思い、人との出会い、親切や優しさに触れ、一日をやり抜いた充実感に満たされる。僕は長距離ランドナーだと。

日本という国に住む人々は、捨てたもんじゃない!

感受性が強い年頃だったので感動のしっぱなしでした。人を信じることから始める。このことを体感したのも、まさにこの時期でした。

学校は落第スレスレで、なんとか留年なしで卒業できました。僕のためにノートを用意してくれたり、授業での代返?ほか様々なご協力をたまわり、学友殿の皆さんには感謝の日々でございます。

幸運にも70年代の昭和は、そんな許容をもった人たちが多くいた時代であり、優しさのある社会だったのかもしれません。

二十歳の旅でえた貴重な体験や出会いは、とても深く心に沁みました。写真はセピア色になっても、何ものにも代えがたく、色褪せることなく、いまに続く僕の土台となっています。


時をへて… 昭和から平成 そして令和へ


人並みに就職をし、家族持ちとなり、三十にして立つ。

いまで言うフリーランサーとして、仕事と暮らしに奮闘努力の日々が続きました。「自転車で単独日本一周をしたことがあるんだぞ」と家族に話しても、本当かなぁ〜?という顔…。

気がつけば、長男は部屋に大きな日本地図をはり、おなじ道を書き記し「自転車で単独日本一周」。次男は50ccのモンキーで「四国八十八ヶ所巡礼や全国各地を旅歩き」。

僕は思わず、ニタッ!としたもんです。


あれから四十数年。子供たちは独立。健康で病気もせず、かみさんと仕事や暮らしを楽しむ日々をおくっています。

現在、社会的に独立したフリーランス(個人企業法人)として、ウェブデザイナーやフォトグラファーを養成する学校とウェブ制作をする会社を中心に、かれこれ40年ちかく営んでいます。日本一周したときの記憶や土地勘が役立つ業務企画「写真と映像で地域おこし」、全国各地をまわる撮影取材も続けています。

嬉しいことに、いまは二人三脚で、ペダルを踏んでいます。豊かな心を享受できることに感謝です。

人生100年時代。生涯現役の職業人であり続ける。これまで培ってきた仕事ノウハウを一人ひとりに伝えるため、隠れ家のような大人の学校を展開。学ぶのは明日へのパワー。

むかし、永遠のひげチャリと呼ばれ、いまは、Webおじさん。

僕の永遠のテーマである「デジタルな仕事とアナログな暮らしの共存」。心地よく、程々のペースで、いつも前を向いて進みます。

旅はつづく。新たなペダル紀行として、記憶に書き記していこうと思います。

余談ですが


発行部数が当時ナンバーワンだった週刊平凡パンチ。その取材班から「北海道のサイクル野郎」として取材を受け掲載された写真です。

スマホやネットはない時代。長旅を終え、何も知らず九州に戻ったら、途端に友人や知人、そして、知らない人からも沢山の連絡が入り驚きです。

お笑いぐさですね…。静かに始めた旅のはずが、地元では時の有名人。 : )

↑↑↑ 過酷な試練に耐え、博多から走破してきたサイクル野郎の表情にみえますか?

実はこのあと、金欠で日銭を稼ぐため、襟裳で昆布とりのバイト(住込み食事付)の約束があり、先を急いでいました。取材は有難いことなのですが、予想以上に時間をとられてしまい、少々困惑ぎみ?。いま思えば、粗野で無精な表情が取材班の訴求イメージにピッタリとはまり、良かったのかも。 : )

日焼けで顔や腕は真っ黒。服も自転車もボロボロ。中身は元気溌剌。靴はとうとう破れてしまったので、新品を履いています。やけに白いでしょ。


まだまだ、話題は事欠きませんが、今回はここまで。またの機会、長旅の続きがお話できれば…と思います。最後までお読みくださり有難うございました。



旅心 いまも悠々と流れる